Ancient Egyptian Cat God Bastet Statue Bast Diety古代エジプトの猫神バステト女神靱皮Diety

古代エジプト 人物

ドロシー・イーディーの転生物語。

生前、自分が何だったのか気になったことはないだろうか? 

 チベットの死者の書によると、人間の体は身体と心と霊魂の3つに分けられている。
死=身体と霊魂が分離する現象ということになるが、
体は土に戻るが、霊魂は、どこに行くのであろうか・・・・。
チベットの死者の書によると、人は死ぬととても大きな輝く光に迎えられ次の身体に放り込まれるそうだ。

では、次の身体にいけなかった魂はどうなるんだろう。
うーん不思議な世界ですね!

今日は、「オム・セティ」と呼ばれた、古代エジプトの魂の記憶を思いだし、<古代の自分と愛しあった王>が現代に蘇り、魂の逢瀬をしてしまう・・・という
トンでもない人生を送った<イギリス人女性>の不思議なお話をまとめてみました。




古代エジプトの巫女は生まれ変わり、イギリスで生を受けました。
その人の名前はドロシー・イーディ。
ドロシーは、生前、自分は古代エジプト人だと主張して評判になった人です。

その人柄は、芸術家風であったが、明るく快活、開放的なもので、
ドロシーと合った人々は、ほとんどが皆その人柄に魅了されたほど。

物語はドロシー・イーディが3才の時に始まる。

階段から転げ落ち頭を強く打って意識を失ってしまったドロシー。
医者が駆けつけた時は、ドロシーは間違いなく死亡状態と思われた。
そこで、死亡診断書を書こうとして、
医者が再び遺体の安置されている部屋に戻ったところが、
死んだと思われたドロシーは、
息を吹き返し何事もなかったように無邪気ではしゃいでいたのです。
 


ここからドロシーの不思議な人生が始まります。

これをきっかけに、ドロシーは、毎晩同じ夢を見るようになったのです。
その夢の中には、果実のなった樹木がたくさんある庭と
石の柱がたくさんある建物が頻繁にあらわれた・・・。

ドロシーは、ここが私の生まれた所だと信じ込むようになりました。
両親がイギリスのここがお前のうちだと何度言っても否定した。
両親からすれば少し悲しい話ですね・・・。

 そして7才になった時のこと。

雑誌に掲載された古代エジプトの写真に
セティ1世の神殿を見つけたドロシーは、
毎晩、自分の見る夢に出てくる建物はこの神殿に間違いないと言い張ったのです。

 樹木の一杯ある庭はどこで、どうして、
みな壊れてしまっているのかと親に質問を繰り返す始末。
 
成長するにつれて、ドロシーは、
自分が生前古代エジプト人だったという確信に取り憑かれるようになりました。

 27才、ドロシーは若いエジプト人の教員と出会い結婚しました。
そして、ついに荷物をまとめてエジプトに移り住んでしまったのです。
この時、ドロシーは夫にも打ち明けられない、いや、打ち明ければ恐らく結婚なんてしなかったであろう重大な、秘密を抱えていました。
まぁ、それはおいおい見ていくとしてですね。先にすすみましょう。


 エジプトに住んでからも、近代的なカイロに住みたいという夫に対して、
ドロシーはピラミッドの見える場所に住居を構えたいと主張。

まもなく、夫妻には子供が生まれましたが、
ドロシーは夫の意志に逆らって自分の息子にセティと名づけてしまった・・・。

セティという名は紀元前1300年頃の第19王朝のファラオ、セティ1世にあやかったもの。


 結婚後、夫は、真夜中に起き上がるドロシーにしばしば眠りを中断させられた。
ドロシーは、トランス状態になって、月明かりの中でひたすら紙面に何かを書きなぐる有様でした。
ドロシーの書いたものはヒエログリフという古代エジプト文字で、
生前における自分の体験を著わしているというのです。
ドロシーの奇怪な行動はその後、一年あまりも続き、
書き著した内容も、紙面にして70ページにも及びました。

夫となったエジプト人はさぞかし怖かっただろうと思います。
愛の力ですね。愛し合っていたからこそ、支えあえたんでしょう。

200px-Abydos_sethi.jpg


ドロシーが言うには・・・、
前世では、自分は14才のベントレシュトという女神官だった。
ベントレシュトは、ふとしたことからセティ1世と恋に落ち(!)
やがて、ベントレシュトは妊娠したが、
それは純潔を守るはずの神官にとって、
掟を破る重罪に相当するものでした。
※このセティ1世(上のレリーフ↑)、
映画「ハムナプトラ」では祭司イムホテップと愛妾アナスクナムンに殺されているあの王様です。

14歳で妊娠。現代で言えば中学生で妊娠したことになります。

 もし、自分が妊娠したことが発覚し審問にかけられれば、
愛人であるセティ1世の立場を追い詰めることになる
・・・と考えたベントレシュトは、
セティ1世の名誉を守るために自害してしまいました。
 死んだベントレシュトを目の当たりにしたセティ1世は、
決して忘れはしないと涙ぐみながら誓いました。
この時既にセティ1世には妻も子もいましたが、
愛ある逢瀬を交わしたのはもしかすると、
ベントシュレトただ1人だったのかも知れませんね。

 


さて、物語はここからますます不思議になります。

 彼女の話は、こうした過去のいきさつだけに留まらず、
ドロシーが14才の頃になると、実際、セティ1世が毎夜、自分の枕元に訪れました。

・・・ここから魂と魂の「いちゃつき」が始まります。
 それは何度も繰り返され、夫を持つ身になってもそれは続いたそうな。もちろん夫にはいえません。
つまり今の子供は現代の夫の精子と古代の王の魂の逢瀬で生まれてきたのです。もしかすると、古代の王の魂は息子の中にあるのかも知れません。

彼女が言うには、やがては、神殿のあったアビュドスの地に戻って、
今度こそ神官として義務を全うすれば、自分が死んだ時、
すべての罪は忘れられて今度こそセティ1世と永遠に結ばれるというのであったのです。
 

 結婚から3年後、
ついには夫と別居状態になったドロシー。そらそうなりますわな。
だって肉体関係じゃないけど、
魂同士でいちゃついてたら夫はたまらんわ。
ものすごいジェラシー状態に陥ったと思います。突っ込みどころ満載の夫婦です。


息子を連れてギザの大ピラミッドの近くに移り住み、
そこで、考古関係の助手をすることに。
それから20年も発掘と記録の作業に明け暮れたのです。

そして、長い年月の後、
とうとう念願のアビュドスの地に落ち着いたドロシーは、
セティ1世の神殿の遺跡に向かうと、香を焚き一晩中過ごしました。
ドロシーが20年間もアビュドスの地に来なかったのは、何かが自分を妨げていたかららしい。
アビュドスで神殿の壁面のレリーフを記録する仕事に就いたドロシーは、
まもなく神殿の庭の位置を言い当てることになります。

 発掘してみると、切り株が多数見つかった。
それは、かつて、ここに庭があったことを物語るもの。
その庭は、まさしくドロシーが幼少の時から夢に出て来た庭だったのである。
ひょえ〜〜〜!!ついにドロシーは自身が古代エジプトの巫女である事を証明したのです。


 その後も、ドロシーは神殿の北側で地中に走るトンネルも発見。
それは、あたかも、神殿とその周辺の地理について非常に熟知しているとしか思えぬものだった。
 ドロシーは、また神殿の地下には秘密の文書庫があり、
ここにはいろいろな文書がたくさん詰まっていると言った。
もし、これが発見されたら、ツタンカーメンの発見以上の価値があるだろう。


しかし、残念なことに、
巨大な神殿の地下に眠る秘密の文書庫の発見に乗り出す者はまだ現れないでいる。
 
ドロシーはその後、1981年に77才で亡くなるまでアビュドスの地に25年間留まりました。

このアビュドスのオシリス神殿やカルナックのアメン神殿多柱室は、
セティ1世が中心となって作ったもの。少しでも近くにいたかったんでしょうねぇ。


周囲の人々はドロシーのことを敬愛の意味を込めてオム・セティと呼んだ。
エジプト人の血が半分入った息子セティの母という意味である。


 しかし、ドロシーは多くの謎は解決される前に死んでしまいます。


果たして、ドロシーの超自然的な直感力はどこから来たのか、
また、アビュドスのことをかつてそこに住んでいた人間のように熟知していたのはなぜだったのか、
そして、これは本当に転生によるものなのか、
あるいは、ドロシーがただそう思い込んでいた夢に過ぎなかったのだろうか?

 今後、いつか、ドロシーの言ったようにセティ神殿の地下のどこからか、
秘密の文書庫が発見される日が来れば、
この問題に一つの解答を与えることになるのは確かです。


時を越えて王と出会い、そして魂の逢瀬を交わしたイギリス人女性。
ドロシー・イーディの不思議な物語でした。


ちゃんちゃんっ☆
☆おわり☆

古代エジプト 歴史

改めて古代エジプトについて

改めて古代エジプトについておさらいしておこう。

それは古代、
紀元前30年にプトレマイオス朝が滅亡し
ローマ帝国の支配下に入る前までの時代のこと。


ここで起きたエジプト文明は、
メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明の世界四大文明のひとつだ。

紀元前3000年前後に中央集権的な統一国家となった。


古い時代から砂漠が広がっていたため、
ナイル河流域の面積にして日本の4倍程度の範囲だけが居住に適しており、
主な活動はその中で行われた。

ナイル河の上流は谷合でありナイル河一本だけが流れ、
下流はデルタ地帯が広がっている。

最初に上流地域(上エジプト)と下流地域(下エジプト)で
それぞれ違った文化が発展した。

後に統一されたため、王の称号の中に「上下エジプト王」という部分が残り、
古代エジプト人も自国のことを「二つの国」と呼んでいた。

ナイル河は毎年氾濫を起こし、
肥えた土を下流に広げたことがエジプトの繁栄のもとだといわれる。

ナイル河の氾濫を正確に予測する必要から天文観測が行われ、
太陽暦が作られた。

太陽とシリウス星が同時に昇る頃ナイル河は氾濫したという。
また、氾濫が収まった後に農地を元通り配分するため、測量と幾何学が発達した。

アフリカの中南部とは砂漠と山岳によって隔てられているため、
アフリカというよりも西アジア、地中海文明に近い文明であった。
最初の農耕文明とされるメソポタミアから多くの影響を受けているといわれる。


このメソポタミアも川を中心に栄えた文明である。
メソポタミア(Mesopotamia、ギリシャ語で「複数の河の間」)は、
チグリス川とユーフラテス川の間の沖積平野であり、
過去のペルシアの一部、現在のイラクにあたる。


メソポタミアは、数多くの文明の栄えた土地であり、
また数多くの文明によって征服されもした。
それら諸文明の中には、シュメール、バビロニア(バビロン)、
アッシリア、アッカド(ムロデ王国の四つの都市のひとつ)、
エジプト文明、ヒッタイト、そしてエラム古代王国がある。


民族移動の交差点にあたるメソポタミアが終始異民族の侵入を受け戦いにあけくれたのに比べ、
地理的に孤立して外れにあったエジプトは比較的安定していた。


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古代エジプト 神

太陽神

太陽神。

・・・と、聞くとみなさん何を思い浮かべますか?
キラキラに輝く太陽をあがめる姿でしょうか?
私は違います。私は太陽神と聞くと「ハヤブサ」と言う鳥を思い出します。(ギリシア神話が好きな人は、4頭立て馬車ですね、きっと)

今日はこのエジプト神話に於ける太陽神、
天空の絶対的な支配者「ラー」について
レポートしたいと思います。

エジプト語で、太陽の事を「Ra=ラー=太陽」と呼びます。
ラーは、エジプト神話に於ける太陽神。
語源は其の侭、「Ra(太陽)」。

テレビでエジプトの特集を見ていると、よく鳥人間の絵を見かけませんか?あれこそ、まさしく太陽神ラーです。

古代エジプト人は
太陽の昇り沈みとともにラー自体も変形すると考えました。
時間によって太陽にいろいろな名前を与えており、


昇りはじめる頃の太陽をケプリ、
真昼の丸い太陽をアトン、
地平線に近づくものとしてハラクテ、
沈むとアトゥム、
また空と同音のホルスまたはホルスの目などにも見たてている。

ラーは特に天頂に達したときの太陽の意味したのであるが、
アモン・ラーとして全エジプトの神々に光臨しました。


日の出の時=タマオシコガネ(フンコロガシ)の姿のケプリ
      ケプリとは、人間男性の体にフンコロガシを頭とする
      姿。
      これはフンコロガシが丸めた獣糞を倒立状態で押して
      運ぶ様が、太陽の動きに似ているからとされています。


日中=ハヤブサの姿をして天を舞う。
   隼の頭をした男性。
   さて、ハヤブサという鳥についてここで一つ書いておきたい。
   このハヤブサ、肉食で残忍というイメージがあるが
   少し「ラブ」を感じる事のできる鳥なのです。
   ラブ・・・つまり夫婦の絆が強く、
   パートナーの一方が死なない限り、
   毎シーズン同じつがいで繁殖するのですwステキでしょ?

 
夜=雄羊の姿で夜の船に乗り死の世界(夜)を旅する。
  心臓を天秤にかける死者の裁判の章は有名ですね?

  この死後の世界について書かれた『死者の書』と言う物があります。
  古代エジプトのものと、チベットのものが有名です。
  世界中に色んな書物があるが、
  エジプトを治めていたヘセプーチ王の時代に、
  棺上の絵文字として描かれているのが発見されたのが、
  最初とされている。
  (テーベ原本,サイテ原本,パピルス文書などがあります。)


  そして日本人なら誰もが強いている49日。
  エジプトとは直接関係ありませんが、何故49日なのかご存知でしょうか。
  チベットの『死者の書』には以下のように書かれています。
  死者はまず非常な畏怖を覚えるまばゆい光に出会います。
  勇気を持って飛び込めば、真理に融化し成仏します。
  そうでない場合、7日後にまた別の光に直面して、同じ様な状況にたたされる。
  7日毎に、49日まで繰り返されるとされています。

  光への融化がなければ、その後、死者の生前の行為、
  心に応じて地獄、畜生、人間、天国など6つの世界のいずれかに
  生きているものの胎に入って行き、その世界でまた生きるのです。
  チベットでは、
  祖先たちも現在輪廻して生きているとされています。


さて、少し話がそれてしまいました☆
この太陽神ラーの出生について見て行きましょう。

この太陽神にもお母さんがいます。
ヌン(Nun)=原始の神=大洋、混沌が擬人化された神格
(あの有名なオシリスとセトの兄弟とも言われていますし、
 ある一説=ヘリオポリス神話では創造神アトゥムを生み出した原初の丘の名とも言われています。)
発生は地はメンフィストのやや下流のサドゥク(Sadkhu)と推測。


そして子供もいます。
シュー=大気の神。
テフヌト=湿気の女神
バステト=頭が猫の豊穣を司る女神
セクメト=ラーの左目から生まれたライオンの頭を持つ女神。


この4人の神に関しては日本の神話と少し似ている部位が
あるので軽く触れておきたいと思います。

まず最初にわかっておいてもらいたいのが、
あらゆる説が論じられていると言うこと。

たとえばシューとテフヌトはヘリオポリス神話では創造神アトゥムの自慰によって誕生したとされているし、

バステトは、ラーが年老いて、自分を信仰しなくなった人間に罰を与える為に自らの目を抉って生み出した雌獅子神セクメトを、
ラーが赤いビール(ただの酒とも)を造って彼女を酔わせ彼女の「憎しみ」の感情のみを取り除いた結果生まれたという逸話も残されています。

うーん、色々伝説が残されていますね〜〜。
ラーは各時代の政治的背景と関係して神格が変化していき政治に密接に関わってきます。
ここからがエジプト史の面白いところなのですが
書くとなが〜くなりますので簡単に纏めます。

古王国時代=ヘリオポリスの神官が宮廷で勢力をもつようになった時代は、国家的な神として地方神より上位の神だと考えられるようになった。

テーベが政治的中心となった中王国以後=テーベの神アモンガラーと同一化し、アモン・ラーになった。(他にもアトンと共にラー・アトンとされたり、ホルスと共にラー・ハラテクと呼ばれたりもしました)

うーん。。。こうやって短くしてもややこしい。
とはいえ、かっこいい神に間違いありません☆





☆オマケ☆
バステトの話、何かに似ていると思いませんか?
日本のヤマタノオロチ伝説です。
スサノオはアシナヅチ・テナヅチに、強い酒を醸し、垣を作って8つの門を作り、それぞれに醸した酒を満たした酒桶を置くように言った。
準備をして待っていると、ヤマタノオロチがやって来た。
オロチは8つの頭をそれぞれの酒桶に突っ込んで酒を飲み出した。
オロチが酔ってその場で寝てしまうと、スサノオは十拳剣を抜いてオロチを切り刻んだのです。

日本の古代伝説と、エジプト神話にはとても共通点が多いのです。
太陽神ラー=密教の大日如来や日本神道の天照大神
オシリス神=閻魔大王
・・・と言うように似たような神様が存在しますし
太陽を崇拝している=奈良県三輪神社の太陽崇拝などが
とてもよく似ています。

先日の記事で太陽が年に1度照らされる神殿について書きましたが
日本のそれが三輪神社です。
人工的に作られた山に囲まれた三輪神社。
その2つの山に年に1度、真ん中に夕日が落ちる日があると聞いた事があります。

そもそも神の名を借りた部族間の勢力争いってところが日本神話と似てて面白いと思いませんか?

世界はとても広いのに不思議です。



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