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古代エジプト 歴史

改めて古代エジプトについて

改めて古代エジプトについておさらいしておこう。

それは古代、
紀元前30年にプトレマイオス朝が滅亡し
ローマ帝国の支配下に入る前までの時代のこと。


ここで起きたエジプト文明は、
メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明の世界四大文明のひとつだ。

紀元前3000年前後に中央集権的な統一国家となった。


古い時代から砂漠が広がっていたため、
ナイル河流域の面積にして日本の4倍程度の範囲だけが居住に適しており、
主な活動はその中で行われた。

ナイル河の上流は谷合でありナイル河一本だけが流れ、
下流はデルタ地帯が広がっている。

最初に上流地域(上エジプト)と下流地域(下エジプト)で
それぞれ違った文化が発展した。

後に統一されたため、王の称号の中に「上下エジプト王」という部分が残り、
古代エジプト人も自国のことを「二つの国」と呼んでいた。

ナイル河は毎年氾濫を起こし、
肥えた土を下流に広げたことがエジプトの繁栄のもとだといわれる。

ナイル河の氾濫を正確に予測する必要から天文観測が行われ、
太陽暦が作られた。

太陽とシリウス星が同時に昇る頃ナイル河は氾濫したという。
また、氾濫が収まった後に農地を元通り配分するため、測量と幾何学が発達した。

アフリカの中南部とは砂漠と山岳によって隔てられているため、
アフリカというよりも西アジア、地中海文明に近い文明であった。
最初の農耕文明とされるメソポタミアから多くの影響を受けているといわれる。


このメソポタミアも川を中心に栄えた文明である。
メソポタミア(Mesopotamia、ギリシャ語で「複数の河の間」)は、
チグリス川とユーフラテス川の間の沖積平野であり、
過去のペルシアの一部、現在のイラクにあたる。


メソポタミアは、数多くの文明の栄えた土地であり、
また数多くの文明によって征服されもした。
それら諸文明の中には、シュメール、バビロニア(バビロン)、
アッシリア、アッカド(ムロデ王国の四つの都市のひとつ)、
エジプト文明、ヒッタイト、そしてエラム古代王国がある。


民族移動の交差点にあたるメソポタミアが終始異民族の侵入を受け戦いにあけくれたのに比べ、
地理的に孤立して外れにあったエジプトは比較的安定していた。


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