Ancient Egyptian Cat God Bastet Statue Bast Diety古代エジプトの猫神バステト女神靱皮Diety

古代エジプト 人物

ヒュパティア惨殺事件と学問の終焉

ヒュパティア(Hypatia、Υπατία、370年?-415年3月)は、
古代エジプトの著名な女性の数学者・天文学者・新プラトン主義哲学者。

とても美しく、聡明で、素晴らしい女性だったと記録されている。
ハイパティアともヒパティアとも日本では呼ばれる。


彼女は、キリスト教徒により異教徒として虐殺された。
とても残酷な方法で殺されてしまった。

アレキサンドリア図書館について語る前にまず、
彼女の死について語らなくてはならない。

あれほど、大きく世界中の英知がつまった大図書館が
なぜ?

なぜ消えうせてしまったのか。





彼女はプラトンやアリストテレスらについて講義を行ったという。
そして、彼女の希に見る知的な才能と雄弁さや謙虚さと美しさは、
多数の生徒を魅了した。
キュレネのシュネシオス(その後プトレマイオス(410年頃)の司教となる)との間で
交わされた彼女への書簡のいくつかはまだ現存している。


さて、当時の時代背景をまずは見てみよう。
テオドシウス1世がキリスト教以外の宗教、学問を異端として迫害し、エジプトの非キリスト教の宗教施設・神殿を破壊する許可を与えた。

キリスト教の暴徒は、サラピス寺院やアレキサンドリア図書館や他の異教の記念碑・神殿を破壊した。

まさに映画「天使と悪魔」に出てきたように学問が異端として見られた時代だったのだ。


そんな時代に美しく聡明なヒュパティアは生きた。

新プラトン主義の他の学校の教義より、
彼女の哲学はより学術的で、その関心のためか科学的で神秘主義を廃し、

しかも妥協しない点では、キリスト教徒からすると全く異端であった。


それでも
、「考えるあなたの権利を保有してください。なぜなら、まったく考えないことよりは誤ったことも考えてさえすれば良いのです」とか「真実として迷信を教えることは、とても恐ろしいことです」

という彼女のものであると考えられている言動は、
当時のキリスト教徒をさぞや激怒させたと思われる。

その時すでに彼女は、キリスト教から見て神に対する冒涜と同一視された思想と学問の象徴とされたのである。

これは、後にヒュパティアの運命を大きく変える。


412年
アレキサンドリアの総司教の職権が、強硬派のキュリロス(英語読みはサイリル)へと継承された。
この後に、新たな異教徒の迫害および破壊活動が起きた。

414年
キリスト教徒の集団により、アレクサンドリアからのユダヤ人の違法で強制的な追放

415年
最も著名なアレクサンドリアの哲学者ヒュパティアの虐殺
緊張はその頂点に達した。


四旬節のある日、
総司教キュリオスの部下である修道士たちは、
馬車で学園に向かっていたヒュパティアを馬車から引きずりおろし、
教会に連れ込んだあと、彼女を裸にしカキの貝殻で、
生きたまま彼女の肉を骨から削ぎ落として殺害した。


キュリオスは、
アレキサンドリアから異教徒を追放した功績者として大いにたたえられた。
その死後、彼は教皇レオ13世により「教会の博士」として聖人の列に加えられている。

ヒュパティアの無惨な死は多くの学者たちが亡命してしまうきっかけともなり、中長期的には古代の学問の中心地であったアレキサンドリアの凋落を招く一因になる。

これらの事件により、ピタゴラスの誕生から続いてきたギリシャの数学・科学・哲学の歴史は終焉する。

この学問の終焉には
隠さなくてはいけなかったナグハマディ文書、
数々の建築物の破壊、アレキサンドリア図書館への攻撃など
昔のキリスト教徒たちのありえない攻撃が関係している。

とても恐ろしいことだ・・・神様ってなんなんだろうと
問いかけたくなります。

Encyclopedia of heresies and Heretics
  by Chas S. Clifton


にほんブログ村 旅行ブログへ

古代エジプト 歴史

古代オリエントの強国ヒッタイト

古代オリエントの強国ヒッタイト
エジプトのラムセス2世について書く前に
まずはここからです☆

ヒッタイト(英:Hittites)は、インド・ヨーロッパ語族のヒッタイト語を話しアナトリア半島、現在のトルコ東部に王国を築いた民族。
ハットウシャ(現在のボアズキョイ)に巨大な城塞都市を築き上げ、首都としました。

紀元前1680年頃にクズルウルマック("赤い河"の意)周辺に王国を建国。
古代バビロニアをも滅ぼし周辺諸国を軍事的に制圧し、
外交的に従属させたりしながらその勢力を伸ばし、
最盛期には、エジプトとシリア地区の覇権をめぐってしばしば戦います。

しかしこの国の歴史は本当に途方もなく大昔の歴史で、
どれくらい昔か、年号で聞いてもピンと来ないかもしれませんが
比較して考えるとゾッとするくらい大昔だと言うことがわかります。

アレキサンダー大王
小アジアの征服、エジプト、ペルシャ帝国の征服をしたのが
紀元前331年頃になります。

これよりもさらに何百年も昔にこの国は栄え、そして滅びたのです。

この歴史が埋まった大地の上を、
大帝国ペルシャの大王が西へ向かって遠征におもむき、
アレキサンダー大王が東征していったのです。

* 紀元前2000年頃、ヒッタイト人、アナトリアに侵入。中国では殷代、クレタ島ではクレタ文明が栄えた時代です。
* 紀元前1680年頃、ヒッタイト古王国の成立。
* 紀元前1595年頃、メソポタミアの古バビロニアを滅ぼす。
* 紀元前1450年頃、ヒッタイト新王国の成立。フリ文化の色彩強まる。
* 紀元前1330年頃、シュッピルリウマはミタンニを制圧する。
           この時、前線に出たのは、王の息子達であった。
* 紀元前1285年頃、古代エジプトとシリアのカデシュで衝突。
           ラムセス2世のエジプトを撃退する。
           ラムセス2世は、勝利の記録を戦いの様子と共にルクソールなどの神殿に刻んでいるが、
           実際にはシリアはヒッタイトが支配を続けた(カデシュの戦い)。
           この際に、世界最古の講和条約が結ばれた。

* 紀元前1190年頃に滅びる。地中海諸地域の諸種族混成集団と見られる「海の民」によって滅ぼされたといわれているが、最近の研究で王国の末期に起こった3代におよぶ内紛が深刻な食糧難などを招き、国を維持するだけの力自体が既に失われていたことが明らかになった。
* 王国が滅びたあと、東南アナトリアに移動し紀元前8世紀頃まで、新ヒッタイトと呼ばれる都市国家群として活動した。ただし、この都市国家群の住民はかなりの程度フリ人と同化していたと考えられている。


青銅器時代、最初に鉄を使い始めたことで知られています。
当時、鉄は隕石からごくまれにしか採れなかったが
トルコのカマン・カレホユック遺跡にて鉄滓が発見されています。
近年、ヒッタイト以前の紀元前18世紀頃(アッシリア商人の植民都市がアナトリア半島一帯に展開した時代)に
鉄があったことが明らかにされてます。

鉄の製法はヒッタイトが滅びるまでは秘密にされ(こういった所がおもしろいですよね~)、
その他にも、他国に青銅を輸出或いは輸入していたと見られる大量の積荷が、海底から発見されました。

通説では紀元前1190年に、民族分類が不明の「海の民」によって滅ぼされたとされています。

強力な軍事力と経済力を持ってしても滅亡から免れることはできなかったのですね・・・・。
滅亡し、歴史の表舞台から完全に消え去り、
再びその名が日の目を見る1905年のボアズキョイの発掘までに三千年以上の時が流れ去る。

こういった所に私としては想像力を巡らせていただきたい。
この土地に、エジプトと対立していたヒッタイトと言う帝国があり、
滅びた土地の上をアレキサンダー大王が通り征服していく。

紀元前332年、エジプト人に解放者として迎え入れられた
アレクサンドロスはファラオとして認められ、
「メリアムン・セテプエンラー」というファラオ名を得て、
アメン神殿にその像を祭られ、そしてその後ナイルデルタの西端に新しい都市を建設。

これが現在のアレキサンドリアの起源となる。

70万冊の蔵書を誇りながらも
歴史の闇に忽然と消えたアレクサンドリア図書館が建設され、
地球の大きさを正確にはかった
アレクサンドリア図書館長エラトステネス、
そしてアルキメデス、ヘロン、クラウディオス・プトレマイオスなどが活躍。

クレオパトラが愛したアレキサンドリアは、今もなお息づいている!!

何千年前、エジプトと敵対していた、ヒッタイトは滅び
歴史から忘れられているのに、エジプトは今も生きている。
サブイボがたちませんか・・・?

しかし。
ヒッタイト人は歴史上民族的にも文化・文明的にも非常に重要であると考えられているものの、その謎はまだ全てが解明できていない・・・。あぁ!!タイムマシン!それか生まれ変わりだというひと〜出てきて〜☆

古代エジプト 歴史

古代エジプトの地理と歴史をひとまとめ

古代エジプト・・・名前からして不思議な感じがしますね☆

首都はカイロ。

「エジプトはナイルの賜物」
By古代ギリシアの歴史家ヘロドトスの言葉で有名なように、
エジプトは豊かなナイル川のデルタに支えられて
世界四大文明の一つである古代エジプト文明を発展させてきました。

アラビア語では「ミスル」
ヘブライ語では「ミスライム」

公式英語表記では
Arab Republic of Egypt。

英語を通じて日本語に入った「エジプト」の名は
古代ギリシア語で「暗い」を意味するアイギュプトス (Αιγυπτος Aigyptos) に
由来しているとされています。

これはメンフィス(メンフィス (Memphis) とは、現在のエジプト共和国にある古代王朝)の
エジプト名ヘトカアプタハ(プタハ魂の家)が訛ったものであり、
古代エジプト語ではケムト(黒い土地)と言いました。

漢字では、埃及と表記し、略して埃と表記されます。
カードゲームの発祥の地としても知られている。。。
遊戯王など色々調べていると楽しいのでそのうちUPします☆
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

地理的に見てみると
アフリカ北東隅に位置し、国土の90%は砂漠!!

シナイ半島の北部は砂漠、
南部は山地になっており、
エジプト最高峰のカテリーナ山 (2637m) や、
旧約聖書でモーセが十戒をさずかったといわれるシナイ山がある。

このシナイ山・・・・
日本の5千円札の富士山の下に描かれている水面の山は
シナイ山だといわれ一時軽くTVでも取り扱われていましたね☆

国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が6件、
自然遺産が1件登録されております。
* メンフィスとその墓地遺跡-ギーザからダハシュールまでのピラミッド地帯 - (1979年、文化遺産)
* 古代都市テーベとその墓地遺跡
* アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群
* イスラーム都市カイロ
* アブ・メナ
* 聖カトリーナ修道院地域
* ワディ・アル・ヒタン

死ぬまでに一度は見てみたいですね〜
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
エジプトには主として二つの季節があります。
11月から4月までの温暖な冬と、5月から10月までの暑い夏です。
行くなら絶対冬に行きたいですね☆
ちなみに・・・8月8日は、母の日です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そして歴史・・・エジプトの歴史は、長い!!

6000〜8000年もあります。
この項目で書ききろうと言うのがそもそも間違いなのですが
ザーっと書いちゃいます↓↓

キリスト教徒なら誰でもご存知⇒旧約聖書、出エジプト記

は〜ん知ってる知ってるって、思った方。
海外ではこれがウソの歴史かもしれないと・・・。

どゆこと!?ですよね〜。
でもこれが歴史学者の一般的な見解です。
その見解によると
エジプトで、ユダヤ人を特に奴隷にしていたという事実はなく、
モーゼが奴隷ユダヤ人を率いて脱出したという話も、
エジプト側には記録がないとのこと。
基本的にはモーゼに率いられたユダヤ人の新興宗教団体が
シリア砂漠へと出て行ったというだけらしいです。勝手にね。

つまり「歴史はあとから作られる」。
本当のことなどわからないのであります。
近代史でさえも。

エジプトは、
アレクサンダー大王のあと、
ギリシャ人のプトレマイオス朝が支配していて、
それの終わりにカエサルがやってきてローマの支配下におさめました。

つまり、
ギリシャ⇒ローマの属国⇒イスラム帝国に制服という流れで支配され・・・
エジプト帝国は衰退しアッシリアやギリシア、ローマの
支配を受けながらクレオパトラの自殺で紀元前に滅亡します。

国としては以下のように辿り
今のエジプトがあります。

* 1882年 - 1922年 (イギリス領)
* 1922年 - 1953年 エジプト王国
* 1953年 - 1958年 エジプト共和国
* 1958年 - 1971年 アラブ連合共和国
* 1971年 - 現在 エジプト・アラブ共和国

人種としても本当に様々。
黒人のファラオも存在していましたし、特に肌による差別はなかったのだな〜と私は思ってます。

歴史に関しては年表にしても複雑で、
どこどこに支配されていた頃、同じくして別の地域では〜と言った具合に
色んな国の支配下に置かれ、さらに、たくさんの人種、王朝、宗教などがおりあい
色んな観点から見た歴史観察が必要となります。

上記では、有名どころを簡単にまとめただけです。

これからドンドン掘り下げていきます☆
お楽しみに☆

<<前の3件  .. 2 3 4 5 6  次の3件>>


Powered by Seesaa
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。